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福岡地方裁判所小倉支部 昭和41年(わ)652号 判決 1969年9月16日

被告人 麦平進

昭一八・三・二四生 地方公務員

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実の内容

本件公訴事実の主位的訴因は、

「被告人は、北九州市清掃事業局戸畑清掃事務所技術吏員(清掃作業員)であるが、同清掃作業事務所環境衛生係指導員大場太吉が昭和四一年八月四日朝清掃作業員の超過勤務手当問題から同市職員労働組合現業評議会事務局長垣内美喜夫と口論となつたすえ、同人に木製の丸椅子を振りあげたことにつき、同日午後零時一〇分頃、右垣内ら二四、五名とともに、右大場に抗議すべく、同市戸畑区新池町一丁目所在の前記清掃事務所一階事務室に赴いた際、その頃、同所において、右大場に対し、「貴様、朝は何をしたか」と怒号しながら、同人の開襟シャツの襟首を右手でにぎつてねじたまま同人の胸部を四、五回突いて暴行を加え、よつて、同人に対し、安静加療約一月を要する左胸部第二肋骨々折の傷害を与えたものである。」

というのであり、また、その予備的訴因は、

「被告人は、北九州市清掃事業局戸畑清掃事務所技術吏員(清掃作業員)であるが、同清掃作業事務所環境衛生係指導員大場太吉が昭和四一年八月四日朝清掃作業員の超過勤務手当問題から同市職員労働組合現業評議会事務局長垣内美喜夫と口論となつたすえ、同人に木製の丸椅子を振りあげたことにつき、同日午後零時一〇分頃、右垣内ら二四、五名とともに、右大場に抗議すべく、同市戸畑区新池町一丁目所在の前記清掃事務所一階事務室に赴いた際、その頃、同所において、右大場に対し、「貴様、朝は何をしたか」と怒号しながら、同人の開襟シャツの襟首を右手でにぎつてねじたまま同人の胸部を四、五回突き、後頸部をつかんで数回押えつけるなどの暴行を加えたものである。」

というのである。

ところで、本件公訴事件の主位的及び予備的各訴因は、いわゆる結果的加重犯である傷害と、その基本的犯罪たる暴行とを、それぞれその内容とするものであって、起訴状あるいは訴因罰条変更申立書に各訴因構成事実として明示されたところも、予備的訴因において主位的訴因にはなかつた被告人の若干の行為を新たに暴行に該るとして付加したほかは、全く同一である。そこで、以下、重複を避ける便宜上、被告人の具体的な行為の動機、目的、態様、程度、さらには、それに至るまでの経過などの、本件に関する全般的な考察は、予備的訴因を検討する際に譲り、主位的訴因については、傷害の結果発生の有無にのみ問題を限局して、判断を進めることとする。

二、主位的訴因について

(一)  問題点の所在

検察官は、主位的訴因において、被告人の行為の結果発生した傷害として、公訴事実に掲げられたいわば第一次的なそれ、すなわち、安静加療約一月を要する左胸部第二肋骨々折の傷害の惹起されたことを強調するほか、さらに、同肋骨々折が否定された場合のいわば仮定的なものとして、同肋骨附近に疼痛を伴う傷害、すなわち、左胸部打撲傷の傷害が生じたことを、るる主張しているので、以下、右各傷害につき、順次場合を分つて検討を加えることとする。

(二)  左胸部第二肋骨々折の傷害の有無

先ず、検察官が第一次的に主張する、左第二肋骨々折の傷害の有無について判断するに、証人宇津木忠晄の当公判廷における供述、(中略)によると、本件において被害者と目すべき大場太吉は、本件当日の昭和四一年八月四日夕刻頃、その住居近くにある、北九州市戸畑区中原西町一丁目所在の宇津木外科医院を訪れ、左胸部附近に疼痛があることを愁訴してその診療を求めたこと、そこで、同医師は、同人の自訴するところにかんがみ、同人の左胸部のレントゲン写真を撮影したうえ、結局、左第二肋骨の亀裂骨折で、安静加療約一月を要するものとの診断結果に到達したが、その根拠は、右レントゲン写真には、左第二肋骨上縁骨皮質に一部断裂があることを疑わせる陰影があると観察し、かつ、臨床症状として、右大場において同肋骨附近に圧痛と間接痛のあることを訴えたことによるものであつたこと、そのため、同医師は、同人の左胸部を絆創膏によつて固定するとともに、じ来、同月二九日までの間消炎鎮痛剤を投与するなどして、右亀裂骨折の治療をつづけ、一方、大場は、同医師の指示に忠実に従つて、右二九日まで同医院に通院して治療を受けるとともに、同年九月四日頃までその勤務先である北九州市清掃事業局戸畑清掃事務所を欠勤したこと、そして、右八月二九日に至り、同医師において再度大場の左胸部のレントゲン写真を撮影したが、同医師としては、同写真では前記陰影が消失しているものと観察して、右陰影の消失は、前記亀裂骨折が既に癒合したことを意味するとともに、前記八月四日には右亀裂骨折が存したことを明らかに物語るものであると判断して、前記診断結果にいよいよ確信の度合を深めたこと、敍上の事実を認めることができる。

しかして、右事実関係のみを基礎として考察すれば、大場において左胸部第二肋骨々折(ただし、亀裂骨折)の傷害を負つたことを当然示唆するかのごときであり、従つて、この点に関する検察官の主張は、一見正当なもののように看取されなくもない。

しかしながら、さらに進んで案ずるに、鑑定人星子正義作成の鑑定書二通に徴すると、同鑑定人は、宇津木医師において左第二肋骨の亀裂骨折を疑わせる有力な資料と判断した、前記八月四日撮影のレントゲン写真について、同医師の指摘したと同一個所である左第二肋骨中央外面にやはり陰影(同鑑定人は骨突起様陰影と表現する)を認めながらも、右陰影は、肋骨上部八本または九本の外側上線より始まり肩甲骨及び推骨縁に附着する、いわゆる前鋸筋の起始部にほかならず、解剖学的には、「第二肋骨粗面」または「前鋸筋粗面」と呼称されるものに該当し、外傷性の骨折を示すものではありえない、と論結していることが明らかであるところ、この鑑定は勿論のこと、宇津木医師の前記診断も、医学上の専門的な知識、経験を利用した判断の結果であることはいうまでもないことであるから、検察官主張の、左胸部第二肋骨々折の傷害の有無をみきわめるためには、先ず、この相対立する二つの医学的所見のうち、そのいずれを採用すべきかが問題となる訳合である。

しかるところ、右鑑定書二通に、当裁判所の証人星子正義に対する尋問調書をあわせると、星子鑑定人は、検察官及び弁護人の当事者双方から各別個になされた鑑定申請に基づき、両度にわたり鑑定をなしたのであるが、そのうち、最初になした、昭和四三年三月一〇日付鑑定書の鑑定に際しては、前記八月四日付及び同月二九日付の二枚のレントゲン写真によつて鑑定したにとどまつたが、二度目になした、同年九月二〇日付鑑定書の鑑定においては、さらに大場の左右両側肋骨のレントゲン写真を撮影したうえ、これをも資料に加えて再度鑑定したもので、その鑑定目的は、敍上の経時的な各レントゲン写真上の問題として骨折の有無を判定することが主眼としてなされたものであるところ、同鑑定人が前記のごとき鑑定の結果に到達した根拠は、結局、八月四日付レントゲン写真にみられたと全く同様の陰影を、八月二九日付レントゲン写真にあつては同一の個所、また、同鑑定人において新たに撮影したレントゲン写真にあつては、その左側肋骨のそれは同一の個所、その右側肋骨のそれは相対応する個所に、それぞれ認め、従つて、八月二九日付レントゲン写真では右陰影が消失したとする宇津木医師とはその所見を異にする反面、これらのレントゲン写真には、骨折に通常伴う骨折線や仮骨形成などの現象が認められなく、すなわち、これを要するに、以上の各レントゲン写真においては経時的な変化が全くないと判断したことによるものであつて、その判断過程はまことに合理的で間然するところがなく、しかも、その鑑定に当つては、同鑑定人の具有する、整形外科関係の高度な専門的知識、経験を充分に活用し、かつ、宇津木医師の前記診断の結果も、これを深く吟味、参酌して、慎重に鑑定を進めていることが、明瞭に看取されるのであるから、同鑑定人の右鑑定の結果について、これが採用できないと目すべき理由は何もない、といわなければならない。しかるに、他方、宇津木医師の診断は、もとよりこれも医師としての専門的な知識、経験に基づき、やはり慎重になされたものであることは、いうまでもないことであるが、その臨床医としての立場上、あくまで患者である大場の自訴を契機としてなされた、まさに臨床的な所見であつて、その主眼とするところは、じ後の治療、換言すれば患者の健康の回復、維持のためのものにほかならず、星子鑑定人の鑑定と対比して、その判断の指針ないしは心構え等において自ずから異なるものがあつたことが、証人宇津木の当公判廷における供述及び第七回公判調書中の同証人の供述部分に徴して、うかがわれなくもないのである。

尤も、ここでさらに考察しなければならないのは、星子鑑定人の鑑定は、その主目的を経時的な前記各レントゲン写真によつて判明する範囲に限定して行われており、いわゆる臨床的な症状からする診断の適否については、慎重な態度をとつて、明確な結論を示すことを避ける反面、同鑑定人自身、レントゲン写真に顕われない肋軟骨の骨折のごときは、その存在の余地を否定しさつてはいない、ということである。しかしながら、前記各レントゲン写真に、骨折に通常伴う骨折線や仮骨形成などの現象が認められず、その間経時的な変化の存しないことは、既に認定したとおりであるから、いわゆる臨床的な症状を基盤として一般的に骨折の存在を肯認することは不可能であり(しかも、この臨床的な症状についても、それが骨折を示唆しているものとまで断定することの到底できない事情にあることは、当裁判所の証人星子に対する尋問調書によつて明らかである)結局、問題は、レントゲン写真に影像が顕われない肋軟骨の骨折の有無ということに限局されざるえない。しかるに、この点についても、敍上に掲記した各証拠をあわせると、大場の自訴していた圧痛及び間接痛の場所からいえば、もし左胸部に骨折があつたとすれば、それは、宇津木医師の診断したとおり左第二肋骨の骨折であつて、肋軟骨その他の骨折ではありえず、従つて、同医師としても、その診察に際して肋軟骨その他の骨折を疑つたことは勿論なく、その反面、大場には、左第二肋骨に関するもののほか、肋軟骨その他の骨折をいささかなりともうかがわせるごとき症状は全く見受けられなかつたことが明瞭である。そこで、以上説示してきたことに、さらに、後記認定のごとく、被告人の大場に対する有形力の行使はむしろ極度に軽微なものと目すべきものであるが、仮に、本件証拠上被告人に最も不利なそれを前提としてみても、なお、その行為は、肋骨骨折というがごとき重大な結果を生ぜしめる態様、程度のものであつたとは到底いえないことをあわせ考えれば、宇津木医師の前記診断の結果は、診療開始に当つての臨床的な治療指針を定めたものとしてみるかぎり、慎重で実際的な判断として充分尊重さるべきものであつたとはいいうるとしても、一応診療の立場を離れて、厳密な態度でふりかえつてみた場合、必ずしも正確な結論と一致していたものと認めることはできなく、すなわち、これを要するに、本件において、検察官が第一次的に主張する、左胸部第二肋骨々折の傷害が大場に生じたとするには、あまりにも濃厚な疑惑が存するのであつて、むしろ、そのような傷害の結果は発生していなかつたものとみるのが自然であり、それが、本件証拠関係の示す当然の帰結である、というべきである。

(三)  疼痛を伴う傷害について

検察官は、仮定的にではあるが、被告人の行為により、大場において、その左胸部第二肋骨附近に疼痛を伴う傷害、すなわち、左胸部打撲傷の傷害を負つた旨主張している。

そこで、案ずるに、先ず、検察官においては、その主張にかかる「疼痛を伴う傷害」について、それが医学上いわゆる「打撲傷」として観念さるべきものである、と論断しているけれども、本件証拠上、これを首肯せしむべき科学的な根拠は全く見出せない。すなわち、本件においては、大場の、概略をいえば前叙説示したごとき、そして、詳細には後記認定のとおりの身体症状について、医学的な見地からそれを判定した所見としては、前叙説示の理由によつて結局措信しがたいものとせざるをえない、左胸部第二肋骨々折であるとの、宇津木医師の前記診断を除いては、他に何もなく、従つて、これが医学上どのような病変ないし創傷として観念さるべきものであつたかについては勿論のこと、何らかの治療手段を必要としたものであるかどうか、もし必要とした場合、どの程度の治療日数を必要とするものであつたかについても、純粋に医学上の観点からするかぎり、確実に依拠しうべき科学的な裏付けといつたものは結局存在せず、また、新たにこれを求めることも、事柄が本件当時における身体症状に限局されるだけに、やはり無理がある、といわざるをえない。しかも、これに加えて、証人宇津木の当公判廷における供述、第七回公判調書中の同証人の供述部分及び第五回公判調書中の証人大場の供述部分並びに押収してあるカルテ(写)一枚(昭和四二年押第一二四号の二)によると、本件直後、すなわち、前記八月四日夕刻、大場が宇津木医師の診察を受けた際、その左胸部第二肋骨附近には皮下溢血、腫脹、発赤その他の打撲痕は一切存しなかつたことが明らかである。してみれば、ここでは、大場の身体症状として本件証拠上認定できる範囲のものについて、それが刑法上いわゆる「傷害」の概念に包摂さるべきものと評価しうるか否かを検討するほかはない。

ところで、刑法上いわゆる「傷害」とは、他人の身体に対する暴行によつてその生理機能に何らかの障害を与えることをいい、ひろく健康状態を不良に変更した場合を含むものと解するのが相当であるから、いやしくも他人の生理機能を阻害し、または、健康状態を不良に変更した以上、その程度が軽微であるからといつて、直ちに刑法上の「傷害」に該らないとすることのできないことは、いうまでもないところである。従つて、他人の身体に対する暴行により、その胸部に疼痛を生ぜしめたときは、外見的に皮下溢血、腫脹、発赤その他の打撲痕が認められない場合においても、通常、人の健康状態を不良に変更して傷害を負わせたものと認めるべきものであろう。しかしながら、ひるがえつて考えるに、元来、刑法上にいう傷害の概念は、もとより法律上の価値概念にほかならないから、純然たる医学上の観念からみて何らかの病変ないし創傷として把握しうべきすべての場合を指称するものとまで解するのは相当でなく、日常生活において一般に看過されるような極度に軽微な身体の損傷、ことに、本件で問題となつている疼痛に事柄をかぎつていえば、格別治療手段を施さなくてもごく短時間内に自然恢癒するような、いわば一過性のものは、たとえ医学観念上はこれを病変ないし創傷と目しうるとしても、刑法上にいわゆる「傷害」には該らず、むしろ暴行に当然随伴する結果として、本来暴行の概念に吸収ないし包摂されるものと解すべきは、当然の事理に属する。けだし、およそ刑法上の「暴行」は、他人の身体に対する物理的な力の行使をその実体とするものであつて、とりわけ、殴打あるいは足蹴りなどの、いわば暴行の典型的な事態においては、それによつて、相手方に多かれ少なかれある種の疼痛を覚えさせることも決して特異なことではなく、むしろそれが常態であることは、ここに指摘するまでもないことだからである。尤も、傷害罪の定めている法定刑の幅がきわめてひろいことにかんがみれば、医学上病変ないし、創傷として観念しうる場合で、日常生活において一般に看過される程度の極度に軽微な身体の損傷として刑法上にいわゆる傷害の概念のらち外に置かれるものは、きわめて例外的な範囲に限定されるもの、というべきであろう。

そこで、これを本件についてみるに、本件で問題となつているのは、外観的ないし他覚的症状の全くない、いわば専ら主観的な感覚である疼痛にほかならないから、その存否、あるいは、それがあるとした場合の程度を知るためには、それを愁訴する証人大場の供述以外には、準拠すべきものが何もないところ、同証人の供述するところには、後記においてみるとおり、不快きわまりない、過程で被害を受けた者として、とかく誇大な表現がうかがわれまた、動かしがたい真実に背馳していると認めざるをえない部分があり、従つて、この疼痛に関する部分についても、その供述の信用性はなお検討を要すべき筋合であるが、いま、その点はしばらくおき、一応、同証人の供述が、それ自体としては、その知覚した疼痛感をいささかも誇張することなく、正確に描写したもの、との前提に立脚して考察を進めよう。しかるところ、第五回公判調書中の同証人の供述部分に、さらに、証人宇津木の当公判廷における供述、第七回公判調書中の同証人の供述部分、第六回公判調書中の証人松尾義孝の供述部分及び当裁判所の証人星子に対する尋問調書並びに押収してあるカルテ(写)一枚(昭和四二年押第一二四号の二)をあわせると、大場は、前記八月四日午後零時過頃、被告人より後記認定のとおりの有形力の行使を受けたのち、同日午後一時半頃、再び混乱、紛糾等の生じることを危ぐした、同人の直属の上司である、前記戸畑清掃事務所環境衛生係係長の松尾義孝の示唆によつて、その勤務場所である右環境衛生係事務室をはなれて、後記北九州市労働組合の事務所に赴き、同組合委員長佐伯某に事件の概況を報告するとともに、午後四時頃まで同事務所で種々雑談をするなどしたうえ、そのまま退庁、帰宅したが、その間、左前胸部に若干痛みを感じたこともあつたが、さして気にとめるほどのものではなく、そのため、午後三時過頃には、前記組合の書記からふるまわれるままに、ビールをコップ一杯位飲むなどのことをし、また、帰宅に際しても、日頃通勤に使用している自転車をみずから押して、友人と話しながら徒歩で帰宅していること、しかし、帰宅後、咳をするなどの、ふとした動作のはずみにずきんとするような疼痛を覚えたため、同日夕刻、前記宇津木外科医院に赴いて診察を求めたが、同人としては、同医院に行くつもりになつたのも、念のため、といつた程度のごく軽い気持からであつたこと、しかるに、同医院においては、前記宇津木医師が診察に当つたが、その際、大場は、左前胸部第二肋骨附近に圧痛があり、同肋骨乳線上の間接痛のあることを訴え、一方、同医師は、この愁訴と前記八月四日撮影のレントゲン写真とによつて、同肋骨に亀裂骨折があるもの、との診断結果に到達し、その診断に基づいて治療を開治したこと、すなわち、同医師は、即日、左第二肋骨を絆創膏によつて固定するとともに痛みどめの注射を施したほか、同月二九日までの間、六回にわたつて消炎鎮痛剤等を投与し、他方、大場は、右二九日まで右のとおりの治療を受ける反面、翌九月四日頃までその勤務を休み、自宅で静養したこと、しかしながら、その間、同人においては、疼痛その他格別の異常を感じたことはなく(なお、この点については、同人自身明瞭にいいきつているところである)、それにもかかわらず、このように長く通院治療及び欠勤をつづけたのは、ひとえに同医師の指示によるものであつて、とりわけ、右欠勤については、同医師の指示に反して出勤して骨折個所の癒着に悪影響があつてはならない、と危惧したためにほかならないこと、以上の事実を認めることができる。そして、右事実を前提とするかぎり、大場においてある程度の疼痛を知覚したことは、否定できないところである。尤も、大場が知覚した疼痛のうち、左第二肋骨乳線上にひびく間接痛については、医学的な観点よりして、これが同肋骨の骨折を有力に示唆するものであつて、逆からいえば、同肋骨の骨折に通常随伴する種類のものであり、それ故に、宇津木医師においても、これを重要な判断資料に加えて、同肋骨々折なる診断結果に到達したものであることが、叙上認定に供した前掲各証拠にてらして明らかであるところ、本件証拠上、同診断は、結局いわば結果的にみるかぎり、不正確で真実に合致しないものとせざるをえないことは、既に説示したとおりであるから、大場の知覚した右間接痛についても、これが、同人のいわば感覚的な誤りではなくして、生理的な病変に起因して現実に存在したものであり、しかも、その病変が、被告人の後記認定のとおりの有形力の行使を原因として惹起されたものであることを確実に肯定することには、なお躊躇せざるをえない筋合である。そして、このように間接痛の存在について疑いをさしはさまざるをえない以上、しかも、被告人の施用した有形力の行使が後記認定のとおりのまことに軽度のものであることにかんがみれば、大場において知覚したその他の疼痛についても、これが被告人らの後記認定のごとき抗議行動による、いわば精神的なショック感などに起因し、または、それがため疼痛感がいわば増大した可能性も全く否定しさることはできず、すなわち、その知覚した疼痛感がそれに見合う程度の生理的病変を伴うものとして評価しうるかは、なお合理的な疑問を容れる余地なしとしない。が、そうでないとしても、大場の知覚した疼痛は、その供述するところに従つても、ひつきよう、前記八月四日午後一時半頃から午後四時頃までの間にわたつて、さして気にとめるほどのものではない程度の痛みを覚え、次いで、同日夕刻、咳その他のふとした動作のはずみにずきんとするような痛みがあり、さらに、前記宇津木医師の診断の際圧痛を感じた、というのがそのすべてである。尤も、大場は、本件発生後前記八月二九日まで前記宇津木外科医院に通院して治療を受けているわけであるが、これは、左第二肋骨々折なる診断に基づき、その加療方法としてなされたものであることはいうまでもなく、従つて、同診断が証拠上否定せざるをえないものである以上、このような診療がはたして必要であつたかについても、当然重大な疑惑をさしはさまざるをえない筋合である。また、同人が長期にわたり欠勤したことも、やはりこの骨折があつたことを前提とした同医師の指示によるものであつて、同人自身としては、日常生活上格別の支障があつたことは、豪もうかがわれないのである。そうであれば、大場の知覚した疼痛が、純粋に医学上の観点からみて、どのように評価さるべきものであるかは、本件証拠上これを窺知しうべくもないこと、前叙説示のとおりであるが、もし、仮に、それが何らかの病変ないし創傷として観念しうるものであるとしても、それ自体としては、元来ごく短時間内に自然恢癒すべき、いわば一過性の軽微なものであつたとみるのが自然であつて、いまだ刑法上にいわゆる「傷害」には該らないもの、といわざるをえない。

かくして、叙上るる説示してきたところによつて明らかなごとく、検察官において仮定的に主張している、左胸部第二肋骨附近に疼痛を伴う傷害、すなわち、左胸部打撲傷が発生していることを肯認するに足る証拠は、結局存在しないのであつて、これを要するに、右傷害の存否については、ひつきよう、その証明なきに帰するもの、としなければならない。

三、予備的訴因について

(一)  問題点の所在

検察官は、予備的訴因において、被告人は、大場に対し、「貴様、朝は何をしたか」と怒号しながら、同人の開襟シヤツの襟首を右手でにぎつてねじたまま同人の胸部を四、五回突き、さらに、同人の後頸部をつかんで数回押えつけるなどのことをしており、被告人のこの行為は、刑法第二〇八条所定の暴行罪に該る、と主張している。

そこで、先ず、当公判廷に顕われた証拠によつて被告人の本件当時における具体的な行為について一瞥するに、被告人は、昭和四一年八月四日午後零時一〇分頃から同四〇分頃までの間のいずれかの時期に、北九州市戸畑区新池一丁目所在の前記戸畑清掃事務所一階環境衛生係事務室において、大場に対し、同人の前面に立つて、その開襟シヤツの胸許附近を右手でつかんで、前後に三、四回ゆさぶり、次いで、若干の時間を経て、今度は同人の右斜後方より、やはり右手で、同人の肩附近を一回押す、という、いわば、粗野な所業に及んでいることを認めることができる(従つて、当裁判所が被告人の具体的な行為として認定するところは、検察官の主張するそれとその態様、程度等において、かなりの逕庭が存するわけであるが、その詳細については、後記において考察するところに譲る)。しかしながら、他面、本件に関しては、弁護人において、本件は、労働組合の団体行動としての、いわゆる抗議活動の一環として行なわれたものであつて、結局、憲法第二八条に基く正当な団体行動権の行使として評価さるべきことを強く主張し、一方、検察官において、これを極力争い、本件はひつきよう個人的ないさかいを原因として、惹起されたものと目すべきことを強調して、鋭く対立しているので、被告人の行為の態様、その強弱の程度などについては、本件の生起した背景、被告人の意図ないし目的、加害状況などとともに慎重に吟味するのでなければ、全体の正しい評価はえられないもの、というべきである。そこで、以下順次項を分つて考察していくこととする。

(二)  本件の背景

先ず、本件の背景となる諸事情について概観しよう。

証人片岸真三郎の当公判廷における供述、(中略)を綜合すると、次の事実を認めることができる。

被告人は、前記戸畑清掃事務所第一業務係に配属の清掃作業員であつて、同市職員で組織する北九州市職員労働組合(以下単に市職労という)に所属する者、一方、本件被害者と目される大場は、同清掃事務所環境衛生係に配属の清掃作業に対する指導、監督の任に当る作業指導員であつて、やはり同市職員で構成する北九州市役所労働組合(以下単に市労という)に所属し、その戸畑支部長の地位にあつた者である。ところで、大場の属していた右市労は、本件に先立つ昭和四一年四月七日頃、次のごとき事情の下に、市職労より分裂して組織された労働組合であつて、本件当時においては、右両労働組合は、いまだぬきがたい相互不信感と憎悪感をむき出しにして、深刻に相対じしていた。すなわち、さらにこれより先の昭和四〇年七月頃、当時の北九州市市長吉田法晴は、自治省に対して、北九州市の行、財政監査を要請し、同年一〇月二六日、同省より北九州市に対してその行財政に対する助言と勧告が行なわれたが、その内容として、高令者の退職促進、給料表の分離、分断、市民税、公共料金等の引上げ、各種福祉施設等の整理、統廃合などの事項が含まれていたため、これが市職労の強い反揆を買い、そのなかでも、給料表の分離分断については、同組合の評価としてみるかぎり、従前積重ねてきた闘争の輝しい成果であると誇示していた、一般行政職員と単純な労働に従事する現業職員の給料が同一の給料表によるという、いわゆる給料表一本化の原則を覆えし、再びこれを各別に分離、分断することを目的としたものだけに、ことに激しい抵抗を呼ぶ結果となつた。他方、これとほぼ時期を同じくして、人事院勧告に基く国家公務員の給与改定に伴い、北九州市においても、それに準じた給与改定が問題となり、その改定の率、時期その他について、同市長と市職労との間に種々交渉が重ねられ、翌四一年一月末頃には、一応双方了解点に到達することができたが、同年三月初旬、同市長が、当時の議会情勢を考慮して、給料表の分離、分断を市職労側で承認しないかぎり給与条例の改正案を市議会に上程しない、との意向を示すに及んだことから、同組合においては、熾烈な反対闘争を展開することとなり、遂には、国家公務員は勿論、他の地方公務員の給与も改定されたのに、北九州市のそれのみは改定されないという異常な事態を迎えるとともに、同年四月上旬、同市長に対する、同組合のいわゆる大衆行動に端を発して、同組合員数名が逮捕されるまでに紛争が拡大紛糾化し、事態は収拾しがたい泥沼的破局の様相を呈するに至つた。ところで、この紛争は、市職労側においては、現業職員のなかでも最も人数の多い職種である清掃関係のそれが中心となつて行われ、塵芥、し尿の処理などに当る清掃事業がその活動を一時停止するなどのことがあつたところから、巷間清掃闘争とも呼ばれた。その後、同月下旬、同市長において、臨時市議会を招集し、分離、分断された給料表に基づく給与改正条例を提案し、これが可決されたことによつて、紛争は終局の緒についたが、その間、同市長は社会党に所属する、いわゆる革新首長であるところから、同組合内部においても、同市長の叙上の措置を望ましくはないがやむをえないものとして支持する反面、市職労の激しい行動について、健全な労働組合運動を逸脱するものとして評価する動きがあり、これら同組合の行動に批判的な勢力によつて、前記市労が結成されることとなつた。そのため、市職労に属する組合員の市労結成組合員に対する反感は激しいものがあり、ことに、市労幹部に対するそれは熾烈をきわめていた。そして、大場は、市労結成までは市職労戸畑現業支部副委員長の枢要な立場にありながら、市労結成に力をつくし、その結成後、市労戸畑支部長の、やはり主要な地位についた者だけに、市職労内部、とりわけ、戸畑現業支部を構成する、前記戸畑清掃事務所所属の組合員においては、その立場上、同人をいわゆる裏切者として目し、同人に対しては、強い憤激と憎悪の念慮を抱いていた。

(三)  本件発生に至るまでの経緯と本件当時の情況

そこで、次に、本件発生に至るまでの経緯と本件の情況について検討する。

証人垣内の当公判廷における供述、(中略)をあわせると、次の事実を認めることができる。

叙上認定したような背景の下に、本件当日、すなわち、昭和四一年八月四日を迎えたが、同日は、午前八時四〇分頃から、前記戸畑清掃事務所内の環境衛生係作業員詰所において、同係係長松尾義孝と、市職労所属の組合員である同係作業員との間で、いわゆる職場交渉が開かれた。そして、この職場交渉において交渉の対象とされた事項は、当時いわゆる清掃闘争収拾後間もない頃であつて、清掃関係の仕事が山積しており、右戸畑清掃事務所の環境衛生係でも、その職掌である汚泥処理につき、北九州市清掃事業局直営の作業のほか、民間の清掃業者にもその処理を委託して、滞つた清掃の促進をはかつていたが、従前その作業区域に別段区別はなかつたところから、これを区分し、それぞれの分担区域を明確にして貰いたい、との要望が作業員側から出され、右環境衛生係特有の問題としてこれが交渉目的とされ、本件当日の数日前から幾度びか折衝が重ねられてきていたのであるが、本件当日においては、これに加えて、やはり同係の汚泥処理にかかわる固有の問題として、その頃、汚泥の捨場が従来の若松区北浜所在のそれから小倉区曾根豊岡所在のそれに変更されたことに伴い、市当局と市職労との間の交渉などを通じて、従来より遠距離を往復せざるをえなくなつた関係上、一往復一〇〇円の区外出張手当のほか、二往復につき一時間半の超過勤務があるものとみなし、一五〇円の時間外手当を支給する、との取扱いをすることが取決められていたところ、市職労所属の作業員らにおいては、右戸畑清掃事務所環境衛生係の作業員のなかでは唯一人市労に属していた野村某なる者につき、同人に対する時間外手当、区外出張手当の支払には不正もしくは不公平があり、しかも、それは、同人が市労所属組合であるが故の差別的な厚遇ではないか、との疑惑と不満を抱いていたため、時間外手当、区外出張手当等支給に関する直接の責任者である松尾係長に対して、質問ないし追及を行ない、その解消を求める趣旨の交渉も行われることとなつた。ところで、大場は、本件当日、この職場交渉が開始される以前の午前八時一〇分頃、その日の作業についての指示、打合わせをするためもあつて、前記環境衛生係作業員詰所に赴いたが、右職場交渉が始まつたのちも、依然同詰所にとどまつて職場交渉に同席したばかりか、時折り横から口出しをするなどしたため、事実上同人も職場交渉に参加したかのごとき様相を呈するに至つた。やがて、午前九時前後頃に至り、当時市職労衛生施設支部支部長兼同組合現業評議会事務局長の地位にあつた垣内美喜夫が、右作業員詰所にきて、職場交渉に加わつたが、同人は、参加直後、時間外手当、区外出張手当についての前記野村に関する差別的な厚遇の問題に言及し、松尾係長に対して、種々質問ないし追及を始めた。すなわち、同人は、右野村に関しては、同人が市労に所属しているために、一日当りの計算としては他の作業員より多額の時間外手当、区外出張手当が支給されて、不当に優遇されているばかりか、同人は、元来、たかだか一月に数回程度しか前記汚泥処理場に往復していない疑いがある。という趣旨の見解をるる展開して、松尾係長の事務処理を論難し、同係長の返答を求めたところ、これに対し、右野村と同じく市労に所属し、その戸畑支部長の地位にあつた大場においては、本来同人は作業指導員として時間外手当、区外出張手当の算定等にも関与すべき立場にある関係上、しかも、事柄が同じ市労に属する野村に関することだけに、同人をかばう気持があつたためか、同係長が答えるよりも先に横から口出しをして、右野村は民間の清掃業者より借りあげた清掃車に乗つて作業をしているところ、民間の清掃車は、北九州市清掃事業局直営のそれが一日二往復しかしていないのと異なり、一日三往復しているのであるから、時間外手当、区外出張手当についても、当然その割合で増額して支給されているにすぎなく、その取扱いは合理的である、という趣旨の反論を行ない、さらに、垣内において、大場の、この反論を一応聞きとつたうえで、あらためて松尾係長にその意見を質したのに対しても、再度、同係長の返答をも待たず。やはり同趣旨のことをくりかえして、依然差出口をつづけた。このように、元来職場交渉とは全く無関係である筈の同人が、再度にわたつて、松尾係長よりも先に発言したことは、その真意が奈辺にあつたかはさておき、結局、同係長の返答を一応妨げるかのごとき結果となつたため、垣内、さらには、職場交渉に参加していた作業員らにおいては、職場交渉の円滑な進行が妨害されたものと思い込み、その判断のうえに立脚して、同人に対し、「お前、黙つておれ」、「お前に聞いているんじやない、係長に聞いているんだ」、「お前、係長でもないくせに何を言うか」などと口々に非難したが、その際、右作業員らは、同人に対して前叙認定のごとき強い不信感と憎悪感を抱いていたため、その語気は比較的荒く、また、「裏切者」、「分裂主義者」、「卑怯者」などの、いわば侮辱的な言辞も相当数乱れ飛んで、かなり険悪な雲行となつた。そのため、このような幾多の荒々しい言葉を投げかけられた大場においても、ついに感情を制御しかねて、痛く憤激の念慮にかられ、思わずその場で立ちあがつて、「わしは、昔、飯場の監査をしていた、五〇〇人位の土方を使つていたこともある、わしは前もあるんだ」などという趣旨の、もしくは、これに類した乱暴なことを言いながら、偶々右後方に置いてあつた木製の丸椅子をとつて、これを振りあげ、垣内に殴りかかろうとしたが、松尾係長を始め、作業員らがすぐこれを制止して、大場より右丸椅子をとりあげたので、現実に殴打するまでには至らなかつた。かくして、大場は、右丸椅子をとりあげられたのち、直ちに、その場から立去り、前記環境衛生係事務室に戻つたので、事態はそれ以上紛糾、悪化することなく一応おさまつたが、その際、同人は、激情の余奮さめやらぬまま、垣内に対して、格別謝罪するということはしなかつた。そして、他方、当日の職場交渉は、このような予期しない出来事が突発して、交渉を続行させうる雰囲気ではなくなつたため、それ以上進行することもなく、いわば中途半端な形で自然に打切られ、結局、少くとも結果的にみるかぎり、市労幹部たる大場の粗暴な所業に起因して職場交渉が中絶のやむなきに至るという、市職労にとつてはまことに望ましからざる事態に陥つた。

ところで、叙上の経過は、間もなく、当時市職労戸畑現業支部支部長をしていた山田儀衛門に報告され、同人の知るところとなつたが、同人においては、職場交渉の席上で、市職労の幹部である垣内が、同組合側の観点からみるかぎり、いわゆる分裂組合たる市労の、しかも、同じ戸畑清掃事務所に関係のある同組合戸畑支部の幹部である大場から、いわれなくして乱暴な所業に及ばれ、その結果、職場交渉も結局中絶せざるをえない事態に立至つたことについて、それが、市職労所属組合員の多数を占める作業員にとつては、その直属の上司に当る作業指導員によつてなされた粗暴な行為であるばかりか、ひいては、分裂組合である市労の側からする、市職労に対するいわば敵対行動にほかならないものと観念し、その立場から、当然市職労戸畑現業支部の団体行動として、大場に対し、その謝罪を求めて抗議の意思を明らかにするとともに、他方、大場の、この粗暴な行為は、市職員としての、いわば非行にも比すべきものと目されるので、同人の上司である前記戸畑清掃事務所長らに対して適切な措置をとるよう要請する必要がある、と判断した。そこで、同人は、昼休みに入るや、早速、市職労所属組合員らに対して、自己の意のあるところを告げて、抗議行動などの挙にでることを提案したところ、同組合員らにおいても直ちにこれを賛同したので、ここにおいて、右戸畑現業支部に属する作業員を中心とした、総勢二四、五名の市職労所属組合員が、山田の指示の下に、右抗議などを行う目的で、大場の執務している前記戸畑清掃事務所一階環境衛生係事務室に向つたが、その際、そもそもの発端に関与した、いわば被害者ともいうべき立場の垣内においても当然これに同行したほか、事態を聞込んで駈けつけてきた、小倉など他地区現業支部に属する作業員も相当数入りまじつていた。かくして、午後零時一〇分頃、右二四、五名の市職労所属組合員は、山田を先頭として、右環境衛生係事務室に入つて行ったが、同事務室に入るや、大場に対して、先ず、山田が「今朝の問題は悪いとは思わないか」などといつて、その謝罪を求めたのを手始めに、その他の組合員らにおいても、口々に抗議と謝罪を求るめ趣旨のことをいいながら、同人を取囲んだ。ところで、被告人は、他の組合員同様、山田の前記呼びかけに応じて右事務室に至り、同人を取囲んだのであるが、その際、吉川某及び宮本某の両名とともに、大場の最も身近かに位置を占めることとなつた。一方、これに対して、大場は、昼休みに入つたものの、事務処理の都合上、なお執務をつづけていたが、咄嗟に山田の方に向直つて、同人と向合つた格好となり、同人に対しては、會て心安く交際していた間柄であるためもあつてか、「椅子を振りあげたのは悪かつた」などと謝罪の言葉を一応口にしながらも、依然事務机前の椅子に着席したままの姿勢で応接に当り、かつ、同人において、さらに、約二米離れた松尾係長の席附近で同係長と話しながらこの場の様子をみていた、いわば現実の被害者ともいうべき立場の垣内に向つて直接謝罪するよう促したところ、大場はそれに従おうとしなかつたことから、同人の周囲を取囲んでいた組合員らの反揆を買う結果となり、そのため、右組合員らは、「早く謝れ」、「土下座して謝れ」、「座つていて横着な」などと語気鋭くあびせかけたほか、同人に対する前叙認定のごとき激しい不信感と憎悪感がおのずから流出、露呈して、「卑怯者」、「この職場から出て行け」などの荒々しい言葉も乱れ飛んで、かなり緊迫した雰囲気となつた。そこで、同人は、みずから自席より立ちあがつたが、それでもなお垣内に向つて直接謝罪しようとはせず、また、山田を始め周囲の組合員らに対しても、一応「悪かつた」という趣旨のことをいいながらも、言葉数は極端に少なく、いわゆるにやにや笑いを浮かべながら応対したばかりか、それに加えて元来垣内を真実殴打するつもりはなく、単なるゼスチヤーにすぎなかつた、なる意味の弁解がましい言辞まで弄したので、組合員らの目には、大場の、このような挙措、態度は、まことに煮えきらない、そして、甚だ誠意を欠くものとして映じた。ここにおいて、被告人は、同人においては真実垣内に謝罪する意思がなく、自己らの抗議を誠実にとりあおうとしていないものと思込み、憤激の念慮も入りまじつた気持から、「早く謝れ」などといいながら、これに附随した行為として、同人の着用していた開襟シヤツの胸許を右手でつかんで前後に三、四回ゆさぶつた。しかし、その直後、被告人と同様の気持を抱いた他の組合員らにおいても、同人に対して、前叙認定したと同じような抗議と謝罪を求める趣旨の言葉を口々に言募り、さらには、前記吉川及び宮本においては、大場の後頸部に手をかけて三、四回位押えつけ、垣内の方に向つて頭を下げさせる、といういわば直截的な行動にまで及んだので、被告人としては、瞬時同人の右斜後方の位置に引き上がつて、それらの様子を眺めていた。ところが、大場は、依然垣内に対して謝罪する素振りを一向に示さなかつたため、被告人において、「行つてから謝れ」などといいながら、それに随伴した行為として、同人の右斜後方から右手で同人の肩附近を一回押した。そして、その後、なお若干の時間、右組合員らの抗議はつづいたが、同人の態度はやはり煮えきらないものに終始したので、右組合員らは、結局、同人のそばを離れて、松尾係長のところに移動し、同係長に対して、人事上その他の関係で、大場につきどのような処置をとるつもりかなど、その見解を質すに至つた。そこで、同係長は、偶々前記戸畑清掃事務所長が不在であつたところから、二階にある同事務所次長室に赴いて、同次長に対し、叙上の経過を一応報告して、大場の処置についてどのような回答をすべきかの指示を求めたが、他方、右組合員らは、同所長が不在であることを察知して、同所長らに対する、大場の処置に関する市職労の要請は、その目的を果しえないものと判断して、午後零時四〇分頃、松尾係長が前記環境衛生係事務室に戻つてくるよりも先に、同事務室を立去つた。

しかして、その後、同日昼過ぎ頃から、右戸畑清掃事務所に帰所した同所長に、同次長及び松尾係長を加えて、これら、いわば当局側と市職労戸畑現業支部との間で、大場に対する処置の問題で話合が行なわれ、結局、同人を戸畑区以外に配置転換させるとともに、作業指導員から単なる作業員に降任させる、という一応の結論に到達し、その趣旨の確認書が取交わされたが、同確認事項は同所長らの権限外のことにもわたるものであつたため、翌日、同所長らより、右戸畑現業支部に対して、これを破棄する旨口頭で通告された。

なお、叙上認定したところに関連して、特に重要と思われる諸点につき、若干証拠説明を補充しておく(ただし、被告人の具体的な行為の態様、程度に関するそれは、後記において詳細に考察するところに譲る)。

先ず、検察官は、被告人においては、前記環境衛生係事務室に入るや、他の組合員らとともに大場を取囲みざま、折柄執務を中止して被告人らの方に向直つた同人の胸倉をいきなりつかんだので、同人においても、やむなく椅子から立ちあがつたものである旨主張しているところ、第五回公判調書中の証人大場の供述部分に徴すると、同人は、検察官の右主張に概ね資するがごとき供述をしており、ことに、被告人から胸許をつかまれる前に、山田その他の組合員と言葉のやりとりをしたことはない旨しきりに強調しているのである。しかしながら、反面、本件目撃者ないし事件関係者のうち、右趣旨の供述をしているのは大場のみであつて、被告人と行動をともにしていた証人垣内及び同山田の弁護側証人は勿論のこと、大場の上司である証人松尾においても、前叙認定したところに照応する。または、それを裏付ける趣旨の供述をしており(証人垣内及び同山田については、当公判廷における各供述証人松尾については、第六回公判調書中の同証人の供述部分ことに、証人松尾の供述するところに関しては、その信用性に疑いをさしはさむべきいわれは全くないから、大場の前記趣旨の供述は、ひつきよう、少くも同人の記憶違いに由来した、事態の実相にそぐわない供述である疑いが甚だ濃いもの、というのほかはなく、到底、これを措ることはできない。次に、弁護人は、前記職場交渉の席上において、大場は垣内に対して二回前記丸椅子を振りあげており、しかも、最初のそれは垣内の身体に当つている旨主張しているところ、証人垣内及び同山田は、当公判廷において、これを裏付けるごとき内容の供述をしているのである。しかしながら、他の関係各証拠、すなわち、証人松尾及び同大場においてこの点に関して供述しているところと対比して吟味すれば(前者は第六回、後者は第五回の、各公判調書中の供述部分)、いまだそのような事柄の成行であつたとまでいいきることはできなく、ひつきよう、証人垣内及び同山田の右趣旨の供述は、たやすく当裁判所の心証を惹くに足らない。が、反面、証人大場の右供述部分によると、同人は、その際椅子を振りあげてはみたものの、垣内を殴打するまでのつもりはなく、結局、周囲の人がとめてくれるであろうことを期待してそのような振舞に及んだものにほかならない、というに帰する趣旨の供述をしているけれども、前掲各証拠に徴してうかがわれる、前後の情況などにかんがみ、やはり、これもにわかに信用しがたいといわなければならない。そして、その他、本件発生に至るまでの経緯と本件当時の情況に関する各目撃者ないし事件当事者の供述の間には、細部において微妙な食い違いも存するが、叙上認定に沿わないそれは、その限度において当裁判所の措信しないところである。

(四)  被告人の具体的な行為の態様とその程度

被告人の本件当時における具体的な行為は、これを概括すれば、前記八月四日午後零時一〇分頃から同四〇分頃までの間のいずれかの時期に、前記戸畑清掃事務所一階環境衛生係事務室において、大場に対し、同人の前面に立つて、その開襟シヤツの胸許附近を右手でつかんで前後に三、四回ゆさぶつたのち、若干の時間を経て、今度は同人の右斜後方よりやはり右手で、同人の肩附近を一回押した、というものであること、既に認定したとおりであるが、その態様、さらには、その強弱の程度については、本件で最も問題となるところであるから、以下、この点に限つてさらに詳細に検討を加えることとしよう。

先ず、検察官は被告人においては、大場に対し、その開襟シヤツの胸許附近を右手でつかんで前後に三、四回ゆさぶつた直後に、これにひきつづいて、同人の後頸部をやはり右手でつかんで数回押えつける、という粗暴な所業に及んでいる旨主張しているところ、大場は、それをほぼ裏付ける趣旨の供述をしていることが、第五回公判調書中の同人の供述部分に徴し明らかである。しかしながら、反面、被告人は、その点について、開襟シヤツの胸許を右手でつかんで前後にゆさぶつたのち、一旦同人の右斜後方に退いて、他の組合員らが抗議をつづけるのを暫時ながめるなどしたうえ、右位置のまま、右手をのばして同人の肩付近を一回押したにすぎない旨、当公判廷において極力弁解しており、被告人と同行して当時の情況を逐一目撃しているものとみられる証人山田も、やはり当公判廷の供述として、これにほぼ符合する趣旨のことを述べているところ、同人と同様の意味で目撃者の立場にある証人垣内は、大場の後頸部附近に手をかけて数回押えつけ、頭を下げさせる、という検察官主張のような動作をした者のあることは間違いないが、それは被告人ではなくして、前記吉川及び同宮本の両名である旨当公判廷で明瞭にいいきつているのである。そして、これに加えて、偶々本件現場に居合わせてやはり当時の情況を逐一目撃したと認められる証人松尾は、被告人の大場に対する行為としては、その開襟シヤツの胸許附近を右手でつかんで前後にゆさぶつたことを供述するにとどめ、それ以外の行為については全く何も述べていないことが、第六回公判調書中の同証人の供述部分に徴して明認、看取されるところ、もし被告人が後頸部附近を数回押えつけるという、いわば目立つた行為にいでているとすれば、何人がこれを目撃しない筈はなく、そして、同人において目撃した以上、被告人の行為についてるる供述しながら、そのことには全く触れないというのも、いかにも不自然である。ところが、他方、証人大場において供述するところは、本件の全般的な経過、ことに、いま問題となつている。被告人が開襟シヤツの胸許を右手でつかんで前後にゆさぶる、という行為にいでる直前の模様について、真実に背馳している疑いの甚だ濃い部分が存すること、既に指摘したとおりであるから、結局、叙上説示したところをかれこれ考慮すると、同人は、その後頸部附近を数回押えつけられたことについても、その記憶に誤りがあり、人違いをしているのではないか、との疑惑を到底払拭しえないのであつて、すなわち、同人のこの点に関する供述は、いまだ当裁判所の心証を惹くに足らない。従つて、検察官の前記主張は、帰するところ、その裏付けの証拠を欠き、本件証拠上被告人の具体的な行為として確実に認定しうるのは、ひつきよう、前叙説示した範囲をいでないもの、としなければならない。なお、ここで、被告人が大場の開襟シヤツの胸許をつかんで前後にゆさぶつた回数について附言するのに、この点については、叙上掲記の各証拠とも、あるいは二、三回といい、あるいは四、五回といい、帰一するところがない。ことに、証人松尾及び同山田のごとき、質問のつどその回数を異にし、明確な供述をなしえないでいる始末である。しかしながら、被告人の右行為が、後記において考察するとおり、きわめて瞬間的になされたもので、その程度もごく軽度のものであつたと目されることに思いをいたせば、それを現に目撃した者において、その回数を明瞭に認識しえなかつたとしても、別段不思議なことではなく、むしろ、それが当然である。ともいうべきであろう。ただ、当裁判所においては、叙上掲記の各証拠をかれこれ対比して検討した結果、その回数は三、四回程度であつた、とみるのが最も自然であるとの心証に到達し、結局、そのように認定したわけである。

次に、検察官は、前叙認定した開襟シヤツの胸許を右手でつかんで前後にゆさぶつた、という行為の態様について、これは、開襟シヤツの襟首を右手でにぎつてねじたまま同人の胸部を強く突いたもの、と目すべきである旨主張している。しかしながら、本件に顕われたすべての証拠を仔細に検討してみても、被告人の行為が、検察官主張のごとく、その外見上開襟シヤツの襟首を右手でにぎつてねじたまま胸部を強く突く、といつた態様のものであつたことを明確に示唆する証拠はついに発見しえず、本件証拠上、前叙認定したように、開襟シヤツの胸許を右手につかんで前後にゆさぶつた、というのが最も適切な見方である、と認められるのであるが、いま、仮に、検察官主張のごとく、「右手でにぎつてねじたまま突く」といつてみても、それは、「右手でつかんで前後にゆさぶる」というのと対比して、ある意味では表現の差にも帰せられるべきものであつて、ここで最も問題としなければならないのは、結局、その際の攻撃の強弱の度合、ということにほかならない。そこで、以下、この観点から考察してみよう。

ところで、この点についても、本件被害者である大場の供述するところと、他方、被告人あるいは本件当時被告人と行動をともにしていた証人垣内及び同山田の弁解、供述するところは、相互に明瞭な懸隔があり、そのそれぞれの信用性が先ず問われざるをえない筋合である。すなわち、大場は、「被告人は右手で開襟シヤツの胸許をつかんで四、五回しやくつたが、その際、偶々背後に机があつた関係で、上半身が仰向けにのけるぞるような格好になつた、はつきりグツグツグツとしやくられた、尤も、何回もうしろにのけぞつたわけではない」なる要旨の供述をしていることが、第五回公判調書中の同人の供述部分に徴して明らかであるところ、一方、これに対し、証人山田は、「被告人はワイシヤツの襟を軽くにぎつて二、三回か三、四回押していた、しかし、それは、ワイシヤツの襟がゆれる程度のものだつた」なる要旨の、また、証人垣内は、「被告人は開襟シヤツの襟附近を持つて四、五回ゆすつた、しかし、それは、指先が大場の身体に触れることはあつたかも知れないが、結局、開襟シヤツの襟附近をつかんだ、という程度である」なる要旨の、各供述を当公判廷でしており、さらに、被告人も、「開襟シヤツの胸倉附近を持つて二、三回前後に振つたが、その際大場の上半身が後方にのけぞるようなことはなかつた」旨の、証人山田及び同垣内の各供述にほぼ照応する趣旨の弁解をするとともに、しかし、その際同人の身体が動いたことはあるかも知れない旨率直に述懐しているのである。しかるところ、検察官においては、証人山田及び同垣内はいわば被告人側の証人であるから、被告人に有利な供述をするのは至極当り前のことであつて、信用性は薄い、と主張している。もとより、右両証人は本件当時被告人と行動をともにしていた者であつて、その所属組合も同一であり、従って、被告人をかばう気持から、意識的にせよ無意識的にせよ、事柄をいわば過少に表現しやすい立場にあることは検察官指摘のとおりであり、また、現に、右両証人の供述には、そのようなふしが全くないとはいいきれない。が、しかし、被告人自身の弁解、供述に関するかぎり、その供述態度は真摯かつ卒直で、罪責を免れるためにことさらかくし立てをしようという様子に乏しく、これが信用性にあえて強い疑いをさしはさむべき根拠は見出しがたい。ところが、本件に関しては、大場の直属の上司である前記松尾において、被告人の大場に対する所業の一切をつぶさに目撃していること、既に指摘したとおりであるところ、同人は、いわば第三者的な、従つてまた、中立的な立場にある者であつて、客観的かつ冷静に事柄の成行を観察することができたものと目されるから、同人の供述するところは、特段の事情のないかぎり、事態の真相をほぼ誤たずに伝えているものと認めるのが相当であろう。そして、いま問題となつている、被告人の大場に対する攻撃の強弱の度合に関していえば、松尾としては、被告人の右攻撃の結果、大場において、左胸部第二肋骨亀裂骨折という重大な傷害を蒙つたものと信じ込み、その、いわば誤信を抱懐したまま供述していることは、本件訴訟の経過自体に徴してまことに明らかであるから、これが原因となつた攻撃の強弱についても、その表現が自然誤大に傾きやすいおそれはあつたとしても、少なくとも、過少に供述したことはない、というべきである。しかるに、それにもかかわらず、第六回公判調書中の同人の供述部分を瞥見するに、「(問) 三、四回麦平さんが大場さんの胸をつかまえてゆさぶつたというんですけれども、そのゆさぶる動作は連続的なものだつたのですか、一回ゆさぶつて、しばらく黙つておつて、またゆさぶるという動作ですか (答) 連続ですね (問) そうすると時間的にはきわめて僅かの間だつたと考えていいですね (答) はい (問) そのゆさぶり方ですが、うんと激しいものですか (答) また普通よりも一寸強いんで、激しいあれではないですね」 「(問) そうすると、胸倉をつかんで押したり引つ張つたりしておつたんですか (答) 前に倒れたり後ろにのけぞつたり………… (問) 大場は引つ張つても上体は引つ張られずにじつとしておつたんですか (答) それは動いておりますね、少しは」大要以上のごとき内容の供述をしているのであつて、すなわち、同人においては、被告人の行為によつて大場がのけぞつたことのあることは一応肯定しながらも、反面、これが「それは動いておりますね、少しは」と評価すべき程度のものであり、被告人の行為自体、きわめて短時間内の軽微なものであつたことを示唆しているのである。そして、これに加えて、本件においては、やはり客観的かつ中立的な立場で本件を目撃しえた者として、大場と同じく前記戸畑清掃事務所環境衛生係作業指導員の地位にあつた本田己代彦がおり、同人においても、本件当時現場に居合わせていたことが証拠上たやすく認められるところ、同人は、「本件に際しては、大場の席の右隣りにある自席に坐つて仕事をつづけていたが、格別不穏な出来事はなく、また仕事をするうえで別段支障となるようなこともなかつた」なる趣旨のことまで明瞭にいいきつていることが、第六回公判調書中の同人の供述部分に徴して明認、看取されるのである。尤も、同人のこの供述については、いささか平板にすぎ、ことに、既に認定したように、本件に際しては若干緊迫した雰囲気も存したのに、格別不穏な出来事はなかつた旨を述べるにとどめ、これに全く触れていない点において物足らなさもないわけではないが、しかし、それにしても、同人の右供述によつても、大場の身体が激しくのけぞるなど、隣席にいる同人が当然気づくであろう筈の、そして、到底かくし立てのできそうもない、いわば目立つた出来事はなかつたことを、優に窺認することができるのである。勿論、右両名、さらには、やはり前記環境衛生係の作業指導員で本件現場に居合わせていたことが本件証拠上認められる松本某、金谷某及び久世某らにおいて、被告人の行為を制止しようとした形跡は、本件に顕われたすべての証拠を仔細に検討しても、寸豪だにうかがわれないばかりか、少くとも、松尾及び本田の両名に関するかぎり、被告人の行為は格別制止するほどのものではない、と判断していたことが、第六回公判調書中の同人らの各供述部分によつて、甚だ明白である。

しかるに、他方、第五回公判調書中の証人大場の供述部分については、同人が本件の被害者であるだけに、不愉快きわまりない経験をした者として、いわゆる被害者感情が流出して、いわば誇張された表現が混入しやすいことは、みやすき道理であるところ、同人の供述は、その左胸部第二肋骨が亀裂骨折しているものとの前提に立脚して、意識的にせよ無意識的にせよ、被告人の行為について、それが右骨折の結果を招来するに足るものであることを根拠づけようとしているふしがうかがわれないでもないのであるから、右骨折の存在が客観的に否定されざるをえない以上、同人の供述するところをそのまま信用することは甚だ危険である、というべき筋合である。

尤も、それにしても、大場においては、被告人より開襟シヤツの胸許を右手でにぎつて三、四回ゆさぶられた際、その身体が若干でも動いているのではないかとみられることは、叙上説示してきたところによつても既に明らかであり、従つて、被告人の右行為は、たとえ僅かでも大場の身体を動かすに足る程度の強さをそなえたものではなかつたか、との疑いも存しないわけではない(しかし、もしそうだとしても、その度合はさほど強いものとはいえないであろう)。が、反面、およそ他人より胸許をつかまれるなどのことがあつた場合、上半身をのけぞらせ、あるいは、身をもがくなど、反射的にそれを避けようとする動作をとることは決して珍らしいことではなく、むしろそれが通常の事態である、というべきであるから、大場の身体が若干でも動いたのは、それが被告人の行為のみによつて直接動かされたものとまで即断することはできなく、少なくとも、疑わしきは被告人に有利に認定せざるをえない以上、それは被告人の行為の強弱を直ちに物語るものではない、といわなければならない(なお、附言するに、叙上の掲記した各証拠に、押収してある開襟シヤツ一枚(昭和四二年押第一二四号の一)をあわせると、大場は、被告人の右行為の直後に開襟シヤツの胸許をつかんでいる被告人の右手を自己の右手でふり払つたが、その際、同人もしくは被告人の手のいずれかが開襟シヤツの右ポケツトにひつかかり、そのため、同ポケツトの縫い目がほどけて同ポケツトが垂れさがつたことを認めることができるけれども、これは、被告人の行為それ自体によつて生じたものではないのであるから、このことをもつて、直ちに被告人の行為の強弱を云々する裏付けとなしえないことは、当然の事理に属する)。

そこで、進んで、被告人が大場の開襟シヤツの胸許をつかんで三、四回前後にゆさぶる、という行為にいでたのち、若干の時間を経てなした、同人の右斜後方よりその肩附近を右手で一回押した行為について、その強弱の度合を検討しておかなければならない。しかしながら、被告人の、この後者の行為に関しては、それが肩附近に右手を当ててごく軽く押した、という程度にすぎないもので、勿論、その際同人の身体がいささかでも動いたようなことは全くないことが、叙上掲記の各証拠によつてまことに明瞭であり、この点については、いま特に証拠説明を加える必要をみない。

以上の次第であるから、被告人の大場に対する攻撃は、結局前叙説示した範囲を超えないものであつて、その行為の全体を通じてみても、これが強弱の度合は甚だ軽少、微細な程度にとどまるものであつた、と論結せざるをえない訳合である。

(五) 本件暴行罪の成否

かくして、叙上詳細に説示したところに従えば、被告人の大場に対する行為は、これを外見的に観察するかぎり、検察官の主張する、暴行罪で問題とされるいわゆる有形力の行使として一応目されるものであることは、これを否定しえないが、その態様において、殴る、蹴る、突きとばすなどの暴行の典型的な事態とは全く異なり、いわば非典型的なそれであつて、その強弱の度合も、きわめて軽少な微細なものであるから、これが人の身体に対する不法な攻撃として評価しうるか否か、換言すれば、暴行罪として処罰に値いするものであるかどうかは、それが生起した背景、被告人の意図ないし目的、手段情況、さらには、それらとの関連で観察して、被害の結果が被害者にこれを忍受せしめてあやしまない程度にとどまるものといいうるかなどの、諸般の事情を仔細に吟味して慎重に考察しなければならない。

しかして、これらの、被告人の行為をめぐる諸般の事情としては、既に説いたところによつてほぼ明らかであるが、以下、その主要な諸情況について、さらに整理、補足して検討を加えることとする。

ところで、本件が、そのそもそもの発端としては、帰するところ、前記職場交渉の席上における大場の、まさに粗暴な所業に起因して惹起されたものであることは、否めないところであろう。しかるに、検察官においては、この点について、本件は、ひつきよう、大場と垣内の個人的ないさかいを原因として発生したものである、と論難し、従つて、これがいわゆる労働組合の団体行動の一部としてなされたものと評価すべきいわれはない、と強調している。尤も、検察官においても、その主張にかかる、大場と垣内の個人的ないさかいの生じたのが、市職労の要請によつて開かれた職場交渉の席上であつたことについては異論がないようであり(ことに、第二回公判期日における検察官の釈明)、結局、職場交渉の席上における抗争、対立が個人的ないさかいにまで発展した、とするもののごとくである。他方、これに対して、弁護人においては、これに強く反撥し、本件は、市職労が労働組合としてなした、いわゆる団体行動権の行使にほかならない旨鋭く主張しているのである(なお、弁護人は、本件が労働組合の団体行動として目すべきものであることを強調するあまり、本件について、労働組合法第一条第二項の適用がある旨をもるる主張しているので、一言しておく。しかしながら、同法条によつて刑事法上違法性なしとして免責されるがためには、当該行為が、その行為の性質自体において、団体交渉その他の団体行動権の行使としてなされた場合であることを要するものと解すべきは当然の事理に属する。そして、ある行為が労働者の団体交渉その他の団体行動権の行使としてなされたものといいうるためにはそれが、企業者対労働者、換言すれば、使用者対被使用者なる対抗関係の下における行為であることを前提とするものと解するのが相当であつて、従つて、たとえ労働者の組合活動に属する行為として評価すべき場合であつても、企業者、換言すれば、使用者との対抗関係の表現としてなされたものでない行為については、労働組合法第一条第二項の適用を受けることはない、といわなければならない。しかして、ここに企業者、あるいは、使用者とは、労働組合活動において問題となる、集団的労働関係の一方当事者となる者を指称し、他面、労働者を使用する地位にある者の利益を代表する者をも含む、と解すべきものであろう。しかるに、本件の対象となつた大場は、いわゆる作業指導員であつて、作業員を指導、監督する地位にあつたとはいえ、市労所属の組合員にほかならず、市当局に対する関係では、組合単位の違いはあるにしても、いわば被告人らと同様労働者、被使用者の立場に立つ者、すなわち、企業者、使用者には該当しないもの、と認めるのが相当であるから、本件について、労働組合法第一条第二項適用の有無を云々することは、既にこの点において失当である、といわなければならない。そればかりでなく、元来、同法条は、刑法所定の暴行罪または脅迫罪に該る行為が行われた場合にまでその適用があることを定めたものでないことは、いうまでもないところであるから、本件においては、先ず、被告人の行為につき、暴行罪の構成要件充足の有無が問われるべき筋合であろう。)。しかして、叙上の、検察官及び弁護人双方の見解の対立は、帰するところ、本件当時における市職労組合員らの、従つてまた、ひいては被告人自身の、行動目的の正当性の存否をめぐつて論議しているものにほかならない。そこで、案ずるに、前記八月四日朝の職場交渉は、北九州市清掃事業局直営の作業区域と民間の委託清掃業者のそれとの区域分担を明確にすることと、さらに、市労所属の前記野村に対する、市職労側の観点よりした、時間外手当、区外出張手当の支給に関する不正、不公平な厚遇の解消を交渉事項としてなされたものであり、この後者の問題に関連して、大場と垣内との間に、本件発生の契機となつた前記紛争が触発されるに至つたのである。そして、大場が、垣内に対して、暴言を吐きながら、木製の丸椅子を振りあげるという、粗暴な所業に及んだことについては、その際、大場が再三にわたつていわば差出口をくりかえしたとはいえ、同人に向つて種々の非難があびせかけられ、なかには、侮辱的な言辞にわたるものもあり、かなり荒々しい雰囲気となつていたことも無視しえず、従つて、同人の心情としてみるかぎり、まことに掬すべき事情も存しないわけではないが、しかし、それにしても、客観的にみて、それが冷静さを失つた粗野きわまりない、健全な常識人のひんしゅくを買うことを免れないような行為であつて、かつ、それがため、折柄進行中の職場交渉が事実上中絶のやむなきに至つたことは、否定しえないところであり、ことに、被告人ら市職労側の立場からすれば、このような粗暴な所業が、同組合所属組合員が多数を占める作業員にとつて直属の上司である作業指導員の地位にある者によつてなされ、従つて、日常の執務に当つても、今後同様のことが起りうる危惧を払拭しえない、という意味で看過しえなかつたばかりでなく、いわゆる分裂組合の幹部であり、分裂に際しての主導者の一人と目されていた大場によつて行われたものであるだけに、市労の側からする、市職労に対する露骨な敵対行動の表現であり、帰するところ、職場交渉の席上における市職労の主張、しかも、市労所属組合員に関する差別的な厚遇の解消を目的としてなされたそれを、暴力で封じさろうとしたものとして受取つたとしても、あながち不思議なことではなく、それ相応の理由があつた、とすべきものであろう。ところで、企業者、使用者側の労働組合に対する不当交渉やいわゆる分裂組合、第二組合の側からする組織切崩しなどの攻撃があつたとみられる事態が生じた場合に、これに抗議するため、組織的に、もしくは、突発的に行なわれる集団行動は、団体交渉に関係する大衆行動と同じく、それが組合の統率の下に秩序正しく行われ、その態様において、社会的に容認される限度を逸脱するものでないかぎり、やはり正当な組合活動の一端に連なるものとして、その行動が犯罪性を帯び、刑事上の責任を問われることはないもの、というべきは条理上当然の筋合であり、従つて、本件において、被告人らが、市職労戸畑現業支部支部長たる山田の指示によつて、大場に対して抗議をし、さらには、同人の上司である前記戸畑清掃事務所長らに対して人事上その他の面で適切な処置をとるよう要望しようとしたこと自体は、組合員の利益を守るための一方法として、労働組合としての正当な目的にいでた、ある程度やむをえない行動であつて、もとより、別段とがむべきことではない、といわざるをえない。そして、ここに、社会的に容認される限度内にとどまるかどうかは、結局、その手段、方法の不当性の有無によつて決せられることであり、端的に約言すれば、いやしくも有形力の行使その他暴力と目される行為は、原則として許されないもの、というべきであろう。さすれば、本件の場合、被告人が大場に対して外見的には一応有形力の行使とみられる行為に及んだことは、少くとも、若年の被告人がその無思慮を露呈した軽卒な所業として非難されてもいたしかたのないことであり、この点、被告人も率直に反省する必要が存するであろう。

しかしながら、さらに進んで考えるに、被告人において、大場に対し、その開襟シヤツの胸許を右手でつかんで三、四回前後にゆさぶり、さらに、若干の時間を経て、右斜後方から肩附近を一回右手で押す、という行為にいでたことについては、前叙認定のとおりの経緯が存したことを看過するわけにはいかない。すなわち、本件当時、大場においては、先頭に入つてきた山田から謝罪を要求されて、従前より知悉の間柄である同人に対しては一応遺憾の意を表明しながらも、同行した垣内に向つて直接謝罪するよう求められるや、これには従おうとせず、山田を始め市職労組合員らの再三にわたる要請を無視したばかりか、応接する言葉数は極端に少なく、しかも、元来垣内に対しては実際に殴打するつもりはなく、単なるゼスチヤーにすぎなかつたなどの、弁解がましいことまで口にしたため、これが、被告人を含む市職労組合員らの目には、真実垣内に謝罪する意思はなく、自己らの抗議を誠実にとりあおうとしない、甚だしく誠意を欠く態度として映じたのである。もとより、同人がこのような振舞に及んだのは、それなりの理由があつたためであろう。あるいは、思慮分別に富む年輩にありながら、市職員としてあるまじき行為をしたことの、いわば照れくささがあつたからかも知れない。また、市職労側の、多数組合員による抗議に気圧されたためであつたかも知れない。が、しかし、同人の、この煮えきらない態度が、被告人ら市職労組合員側の焦躁感をかきたて、憤激の念慮をあおつたことは、否定できない仕儀である。そして、さらにその背景的な事情として、市職労、ことに、その戸畑現業支部所属組合員らにおいて、大場に対し、かねてから根強い不信の憎悪の感情を抱いていたことも、到底無視することはできない。換言すれば、その際の被告人らの行動を正しく理解するためには、大場の挙措、態度の、それが意識的になされたものであるか否かは別として、被告人を含む市職労組合員側の視点よりした、いわば挑撥的な意義と、それに対する被告人らの、良かれ悪しかれ労働者としての意識に徹した者の心理的な反応にも、やはり充分留意せざるをえないのである。勿論、被告人において、大場に対し、殴る、蹴る、突きとばすなどの、いわば積極的な攻撃を加えようとの悪意ないし害意を抱いていたことをいささかでもうかがわせるような事情は、全く見受けられない。そればかりか、かえつて、被告人は、大場が垣内に直接謝罪しようとはしないことが明瞭になるまで、大場の身体に手をかけたことのないのはもとより、一旦、その開襟シヤツの胸許を右手でつかんで三、四回前後にゆさぶつたのちも、すぐ同人の右斜後方にひきさがつていることからすれば、被告人においては、大場に対する抗議の目的を貫徹し、垣内に直接謝罪させようと強く願望する気持が先走り、思わずやや粗野にわたる所業にまで及んだものと認めるのが相当であつて、憤激の念慮が入りまじつていたことは否めず、従つて、その無分別な軽卒さはやはり責められなければならないとしても、同人に対して積極的、意図的に暴行を加えようとしたものではないことが容易に看取されるのである。そこで、叙上説示したところをふまえて、やや観点をかえて、行為の手段、態様の側面からいえば、大場の右斜後方よりその肩附近を右手で一回押した、という行為について、これが、帰するところ、同人を垣内の方に押しやつて直接謝罪させようとの気持がいわば行為に顕現したにすぎない性質のものとして、いわゆる社会的相当性を失わないであろうことは勿論のこと、それより先に、同人の開襟シヤツの胸許を右手でつかんで三、四回前後にゆさぶつた、という行為についても、通常の社会共同生活上、ことに、ある程度緊迫した情況下において、対立関係にある者に対して強く抗議をし、かつ、謝罪を求めるなどのことをするに際して、とかく随伴しやすい種類の、いわば相手方の眼前で手拳を上下に振り、あるいは、その胸許に手指を突きつけるなどにも似た、現実的にも心理的にも無理からぬ程度のものとして目するのが相当であり、すなわち、これを要するに、被告人の大場に対する行為は、その全体を通じてみても、いまだ、行為の手段、態様においてことさら社会的な常規を著るしく逸脱するがごときものとまでは認めがたい、といわなければならない。尤も、本件に際しては、被告人以外の組合員らからも、大場に対して、種々の抗議の言葉が鋭くあびせかけられ、そのなかには、同人を強く非難する趣旨の言辞も含まれており、さらには、勢いの赴くところ、同人の身体に手をかけるという、いわば直截的な行動にまで及んだ者も存したわけであるが、しかし、その抗議の情況は、全体としてみるかぎり、たかだか三〇分位の短時間内に、しかも昼食の休憩時間を利用して行われたものであつて、もとより、前記環境衛生係事務室の平穏を故意に乱そうとするような悪意はなく、現に、当初においては、右組合員らの言動も比較的穏やかなものであつたが、やがて、これが、同人の煮えきらない態度によつて漸次緊迫したものにかわつていつたのであつて、これら組合員らがことさらに暴力的な言動にいでた形跡は全くなく、さすれば、このような全般的な抗議の情況を参酌して考えてみても、被告人の大場に対する行為につき、これが健全な常識人の処罰感情を顕著に刺激するような反常規性をそなえたもの、とまでいうことはできない。

しかして、被告人の大場に対する行為が、その、いわゆる法益侵害の度合において甚だ軽少微細なものであつたことは、前叙説示したところによつて既に明らかであつて、この点に関しては、特に補足して説明を加えるまでもないであろう。

かくして、叙上詳細に考察してきたところをかれこれ勘案すると、被告人の大場に対する行為は、ひつきよう、通常の社会生活関係の常態においてもとかくみられがちな種類、性質のものといつても、いまだ過信ではなく、少なくとも、これが、社会観念上公序良俗に反した、社会共同生活において容認される限界を明らかに逸出した行為とまで論断することは到底できなく、すなわち、これを要するに、刑法所定の暴行罪において予想されている程度の違法性をそなえているかについては、多分に疑問が存し、かえつて、可罰的な程度に達しないほど微弱であつて、いわゆる実質的違法性を欠くべきもの、と認めるのが相当である。

四、公訴棄却の主張について

なお、弁護人においては、本件公訴の提起は、市職労の団結を破壊することを目的として、かつ、違法な捜査の結果に基づいてなされたものにほかならないから、その手続は憲法第二八条、第三八条第一項、第三一条に違反して無効であり、刑事訴訟法第三三八条第四号に従つて公訴を棄却すべき場合に当る、旨主張しているので、一言しておく。

しかしながら、本件においては、主位的及び予備的各訴因に掲げられた訴因構成事実は、それ自体としてみるかぎり、まことに明瞭であつて、格別遺漏の存する点はなく、もし、これがすべて立証されたならば、他に特段の事情のないかぎり、傷害罪または暴行罪に問擬さるべき行為として処罰に値いするものと解すべきは、至極当然のことである。しかるに、他方、本件審理の経過に徴すると、被告人の本件行為については、審理をつくした結果帰するところ社会一般の処罰感情を強く喚起するほどの社会的反常規性は認めがたい、との結論に到達したとはいえ、外見上刑罰法規に触れるおそれ、すなわち、犯罪の嫌疑があつたことは到底否めなく、ことに、本件捜査の段階においては、宇津木医師の前記診断が医学上の専門的観点よりする唯一の判定とされ、これに合理的な疑いをさしはさむべきいわれは格別存しなかつたのであるから、検察官において、これをも資料に加えて捜査をとげた結果、被告人に犯罪の確かな嫌疑ありとして本件公訴を提起したことは、まことにやむをえない仕儀であつて、その起訴手続に何ら違法のかどのないことは勿論、いわゆる起訴便宜主義、起訴独占主義の恣意的な歪曲があつたことをいささかなりとも示唆するごとき事情は全く見受けられないのである。そして、また、公訴提起に先行する捜査手続に瑕疵があつた場合、それが当該公訴提起の効力自体に何らかの影響を及ぼすことがある、と直ちに解しうるかは、疑問が存しないわけではないが、いま、その点はしばらくおき、当公判廷に顕われた一切の証拠資料を仔細に検討してみても、本件捜査の手続に違法または無効と目すべき咎の存したことは、いまだこれをうかがうべくもない。さすれば、弁護人の前記主張は所詮失当たるを免れず、これを採用するに由なきもの、としなければならない。

五、結論

以上の次第であるから、本件においては、公訴を棄却すべき理由はなく、また、主位的及び予備的各訴因のいずれについても、結局、犯罪の証明がないことに帰するものというべきであるから、刑事訴訟法第三三六条に従い、被告人に対して、無罪の言渡をすることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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